2011年3月1日火曜日

「味」を磨く。

頭を空っぽ(思考を無)にして描いてみることで
出てくるイメージの面白さや偶然性は好きだ。
でも、それも単に偶然ではなく
自分の経験や思考が無意識の意識として出てきている
「自分の積み重ね」のようにも思える。

一方で

「利き手ではない方の手で描くことで味のある絵を描く」
というのは、個人的には好きではない。
ぎこちない筆跡を、偶然を頼りに描くことは
「たまたまそうなった結果」に頼るしかないように思える。
また、利き手でない方の手も、たくさん描き続けることで
そのうち慣れてきて、偶然の面白さもなくなる。

小さな子どもの絵はとても面白い。
それは、線の強弱や枠にはまらない自由な構図、配色など、
そこには大人に染み付いた概念が存在しない
新鮮な画面がある。

大人の作家が、それとまったく同じように描いても
子どもの絵より魅力的な絵が描けるだろうか。

利き手ではない手で描くという作業は
子どもの絵の魅力と同じく
わざとらしくない線の魅力を
うまく操れない手を使って体験する
へたうま的な手段なのかもしれない。


自分の描きたい絵は、そんな魅力を
イメージ通り(もしくはイメージに近いもの)に
仕上げられることだと思っている。

わざとらしくない線の強弱や筆跡を
手首や指の力加減でイメージ通りに操り、
自由な表現の妨げになる「こうでなければならない」
という概念を払拭する。

経験の積み重ねで魅力を増す
「自由な絵」は、常に自分の憧れ。


ん?結局はこれも理屈っぽいのか?

ま、いいか。

0 件のコメント: